仮面ライダー1号

 私は『仮面ライダーゴースト』本編を見ていないが、NETFLIXに本作が収録されていたので見た。本作はあくまで番外編的な位置づけであり、ゴースト本編を知らない人でも楽しめるので、見ていない人は見ることをおススメする。

 本作は仮面ライダーゴーストが放送されている期間に制作された映画で、ゴーストの世界観を基本としつつ、仮面ライダー1号、本郷猛の活躍を描いている。

1 概要
 いつものように日常を過ごす仮面ライダーゴースト、天空寺タケルたちの元に事件の情報が届く。それは町中で敵が暴れているというものだった。しかし急行してみると、いつもの敵と面子が違う。戸惑いながらも戦うタケルだったが、敵がある少女を狙っているらしいと分かる。

 その少女、橘麻由はおやっさんの孫娘。ショッカーは地獄大使復活のため、アレキサンダー眼魂を彼女の体に埋めていたのだという。しかしショッカーは分裂。新たに生まれたノヴァショッカーが活動を開始し、彼女を狙うようになる。三つ巴の戦いの中、本郷猛が現われるが……。

2 仮面ライダー、マッシブ!
 本作の見どころはなんといっても、造形を大幅に変更した仮面ライダー1号だろう。藤岡弘本人がスーツアクターを務める伝統的撮影スタイルに合わせ、現在の彼の体格に合わせてスーツが新調されている。その結果、仮面ライダーは超マッシブに。あの体格でライダーパンチなんて打てば、そら敵は爆散するわという説得力満載の状態になっている。

 その他にも、藤岡弘の生身での戦闘シーンやバイクアクションなど、古き良き仮面ライダーの姿がここにある。まあ、2号が生まれた経緯を考えれば生身の俳優の安全面に考慮するのは時代の流れの中で当然の配慮なのだが、しかし仮面ライダー1号・本郷猛をすべて自分で演じてしまうその超人っぷりはやはり驚嘆に値する。

3 死ねない仮面ライダー
 既に死んでいて、生き返ることが目的となっている仮面ライダーゴーストの世界観を中心とすることもあって、本作は命に関するメッセージ性の強いものとなっている。本郷猛も長い戦いでボロボロになり、既に余命いくばくもないという状態になっているのだ。

 しかし終盤、本郷猛はまさしく不死鳥のようによみがえり全盛期の力を取り戻す。ここは本作においても感動的なシーンだが、しかし気がかりな点もある。

 仮面ライダーはクウガから、毎年シリーズを更新し続けてきた。つまるところ世代交代を行うことで、長いシリーズを延命しているのだ。ゴーストもその流れのひとつにある。世代交代によって新しいライダーにバトンタッチし、自身は後景に下がっていく。たまに出演することはあるが、スーツとアーカイブに残された音声があれば演者は不要とすら言える。完璧な世代交代がここでは起きる。

 だが初代ライダーは違う。藤岡弘がどうしても前に出てくるように、仮面ライダー1号は世代交代ができない。V3以降の昭和ライダーが続いたが、やはりオリジンの存在は別格だ。そういう意味で、本郷猛は死ねないライダーなのかもしれないと思った。常にどこかのタイミングで、役者と一体になった仮面ライダー1号・本郷猛を望まれてしまう。そういう宿命に立っている。

 その宿命を背負いながら、それでも彼は言うのだ。仮面ライダーは君たちの傍にいると。

4 役の型を超えたライダー
 ここまで来ると、本郷猛と藤岡弘の境界線も曖昧になっていく。作中、本郷が高校生たちに行った命の授業は(それが高校生世代にはピンと来なかったという結果も含めて)藤岡弘の言葉そのものであると言えるかもしれない。

 海外ではアメコミヒーローを演じた役者が現実でも慈善活動に積極的に参加することは少なくない。だが日本ではヒーローを演じた役者が私生活においてもヒーローであり続けることはまずない。その中で、藤岡弘はその存在を本郷猛と同一化しつつ、演じた役を超えたヒーローとしてあり続けているのかもしれない。

 そういえば、仮面ライダーのおもちゃが男の子向けだから買ってもらえなかったという女児の話が話題に上ったとき、天空寺タケルを演じた西銘俊氏はTwitter上でメッセージを発した。


 もしかしたら、本郷猛=藤岡弘との関わりが、こうした特撮俳優には珍しいメッセージの発信につながったのかもしれない。

 確かに、仮面ライダー1号の在り方はどこか古臭い。だが、その古臭さの中にはヒーローとしての普遍性があって、それは間違いなくゴーストにも引き継がれたのだろう。仮面ライダー1号は死ねないが、藤岡弘はいずれその生涯を終える。だがそれでも仮面ライダーは我々の傍にいるのだ。