つい先日、突然Twitter上のハッシュタグで『#スーパー戦隊を子供に返せ』というタグが盛り上がりを見せた。ある企画が韓国の人によって問題視され発展し、そこからこれまでの特撮が見せてきたジェンダー意識の低さが乗っかり今回の運動となったようである。

 しかしネット上での運動、特にこういうポリティカルコレクトネス的な批判やフェミニズム的批判を中心とする運動は、ある一定層による歴史改竄が往々にして起こる領域だ。そこで今回はこの一連の運動がどうして生じたのかについて簡単にまとめておこうと思う。

1 発端はプレイボーイ
 ことの発端は7月20日発売の週刊プレイボーイである。代表的な男性向け雑誌である本誌が、スーパー戦隊とコラボした企画を掲載したことが問題視されたのである。

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 本誌では現在放送中の『魔進戦隊キラメイジャー』のグリーンとピンクだけでなく、過去の戦隊ヒーローの女性戦隊役の女優がグラビアを飾っている。これがシンプルに問題だった。要するに児童向けの番組である特撮のヒロインであることを大々的に宣伝しながらグラビア、つまり性的な要素の強いコンテンツとして利用したことが問題視された。

 無論、ただ戦隊ヒロインを演じている役者がグラビアをした、というだけならたいして問題ではない。過去の戦隊ヒロインを振り返るという企画自体も、まあ中身を精査していないがそこまで問題ではないだろう。問題なのは公式がプレイボーイの企画を公認しているという点だ。それはつまり、児童向けコンテンツを男性向け(しかもかなり性欲を含む)コンテンツと混同しているという意味だからだ。


2 大きなお友達に売らんかなする姿勢
 こうした態度は、本来戦隊ヒーローが波及するべき子どもたちという方向を無視している。だからこそ、今回のハッシュタグ『#スーパー戦隊を子供に返せ』という運動につながっているのである。

 こうしたいわゆる大きなお友達に売らんかなする姿勢は従来からスーパー戦隊に限らない特撮界隈において問題視されている部分である。例えば戦隊ヒロインにおいては日常の衣装が男性人物より露出度高く設定されているということが往々にしてあった。

 そしてそうした衣装をアングルで強化する形で性的に見せようという撮影意図がありありと浮かび、視聴者もそれを認識しているというパターンが非常に多い。上記の例はとかく分かりやすい。

 そういえば昔に『アメトーク』が仮面ライダー芸人の特集をしたとき、仮面ライダーフォーゼでチアガールをしていた人物の足をローアングルで撮影した部分を話題にしていた記憶がある。しかもそれをかなり肯定的に、監督のこだわりとして扱っていた。要するにその頃から撮影陣の認識はその程度から進歩していないのだ。

3 イケメン俳優の起用はそうでもなかったり
 こうした批判に対しよくなされる反論が『お母さん層を取り込むためにイケメン俳優を使っているのはどうなんだ!』という類のものである。問題だと思うなら自分で批判すればいいだろ……というのはひとまず置いて、ここには特撮における男性受けと女性受けの非対称性が存在することが見逃せない。

 既に語りつくしている通り、特撮が男性受けを狙って展開する手法は基本的に「エロく」性的にするという方向性だ。一方、女性受けのために特撮がやっているのは精々が「イケメンを起用する」くらいのものである。ルッキズムの問題を指摘しようと思えばできなくはないが、俳優であればある程度見目のいい人間を起用するということ自体は自然であり、子ども向けコンテンツにおいてもイケメン俳優の起用はそこまで問題があるわけじゃない。

 裏返せば女性受けはイケメンを起用する程度の一方、男性受けは単に見目のいい女性を起用するだけでなく、その女性をいかに性的に撮影するかというところまでフォローされているわけである。このレベルでフォローのされ方に大きな差異がありながら、イケメン俳優の起用だけを問題するのは端的に詭弁だろう。

4 批判されているのは女優ではなく東映
 もうひとつ、この手の批判につきものの反論として以下のようなものが挙げられる。が、結論を先んじればこれもまた詭弁の類である。

 ここでは本来批判されている撮影側のスタンス、つまり東映側の姿勢が透明化されている。そしてあたかも批判者が役者個人を批判しているかのように扱っている。

 言うまでもなく、今回の件に役者の責任は蚊ほども存在しない。大抵の場合、特撮に出演する俳優は起用段階ではまだ人気も下火の、事務所との力関係で言えば限りなく弱い役者である場合が多い。これは特撮が俳優の登竜門的な扱いになっているという点や、特撮自体が過密スケジュールのためある程度人気のある役者はそもそもスケジュールが合わないという問題がある。が、とにかく役者は少なくとも、仕事をそこまでえり好みできない立場に置かれていると想定するのに無理がない状態であるのは確かだ。

 要するに仕事を選べないのだから、その仕事で生じる責任は役者個人ではなく、役者に仕事をやらせる事務所や東映が負うことになるという至極当然の話だ。というか日本の俳優業で、すべてを自分の責任で仕事をする役者なんてほぼいないんじゃないだろうか。ほとんどの場合、事務所が持ってきた仕事に嫌とは言えないだろう。

 こうした批判される主体の透明化、そして対立構造を批判者と役者の使用主体ではなく批判者と役者個人に落とし込む詭弁のロジックは、アンチフェミ的なミソジニストの鉄板戦術であるからこれを機に覚えておくといい。

 そういえば以前『ラブライブ!』とJAのコラボポスターが問題視されたときも、批判される主体を透明化して「フェミに攻撃される千歌ちゃん可哀そう!」と吹き上がった連中がいた。あと転職サイト(だったかな?)が広告にいわゆる「巨乳」の女性モデルを起用してそれを性的に利用した件が批判された時も、広告主体であるサイトを透明化して批判者と役者個人の対立構造を想定した人たちがいた。

 ミソジニストはフェミニスト(別に批判しているのはフェミニストばかりではないのだが、そういうことになっている)を悪魔化するために、フェミニスト対無垢の個人という構図を取らせたがるので注意が必要だ。しかし実在のモデルはともかく『ラブライブ!』のキャラは実在すらしないのに……。


 と、まあ以上がことの経緯である。ついでに今回の批判への反論(というより攻撃的な非難か)として想定される詭弁にもアンサーを出しておいたので活用してほしい。何に活用するかは知らんけど。冒頭でも言った通り、この手のネットでの議論は無制限に拡大する中で元々の主題が霧散しつつ、歴史修正が行われて「フェミが難癖をつけた」みたいな事例として扱われてしまう場合が多いので、そういう事態への対抗策として利用できれば幸いだ。