これの件である。
 既に多くの人が指摘していることだが、文フリ事務局が明言したこともあるので、このブログでもきちんと指摘しておくべきだろう。

1 自粛要請という矛盾した態度
 自民党政権はコロナウイルス禍に対し、感染拡大を防ぐ方策として大人数が集まるイベントの自粛を要請するという手段に出た。なるほど、感染の拡大を防ぐには大勢が集まるのを防ぐほかないだろう。それ自体はさほど問題のあるような対応には見えない。
 問題はこれがイベント中止の要請ではなく、自粛要請であるという点だ。
 自粛要請。この聞きなれない単語の組み合わせには何重にもクソな要素が合わさっている。まず要請しているのは自粛であるという点だ。そもそも自粛とは自ら中止という判断を下す事なので、それを権力を有した政府が要求するというのが矛盾している。
 どうしてこのようなちぐはぐな対応が出てきたのか。これは当然、自民党政権が責任を負いたくないからだ。中止を要請した場合、政府はその強権性を余すところなく発揮して、イベントを強制的に中止させることになる。そうした場合、その対応の是非を問われ、場合によっては政府は責任を負わされることになる。自身の強権性を発揮したのだからこれは当然だ。
 ところが自粛となると違う。自粛はあくまでイベント主催者側の自己的な判断であるという建前になる。つまり自分で判断して中止したのであって、政府が中止を要求していないことになる。これによって中止によるいかなる問題も、自粛したイベント主催者にその責任を負わせる事ができるわけだ。責任を負いたがらない自民党政権の気質がよく現れている。

2 金を出したくないクソ政権
 現金給付による補填が行わるかと思いきや、それが二転三転して和牛券だのお魚券だのに変わるのが今の政府である。要するに国民にお金を使いたくない。この態度はこれまでの災害対応でも一貫していた。また消費税の増税も社会保障に当てると言いながら、蓋を開けてみれば法人税減税の補填に使われていたという実態がある。どこまでも財界の手先というのが現政権の現状だ。
 自粛要請もその流れで理解できよう。要するに強制的な中止ではなく、あくまで主催者側の自己判断による自粛だから、補填の必要はないだろうという理屈を通す事ができる。

3 その結果が招くこと
 では政府の自粛要請が何を招くのか。当然これは失策であるから、感染を防ぐことは出来ずパンデミックという結末が用意されている。
 K-1のイベントが自粛ムードの中強行されたことから分かるが、補填なき自粛要請は主催者に二者択一を強いる。すなわち「自粛して経済的に死ぬか」「強行して社会的に死ぬか」である。現在はまだ前者を取る場合が多いが、このまま補填が何もなければ、まさか本当に金銭面で死者を出すわけにもいかず、イベントの強行ということになるだろう。
 さらに輪をかけて間が悪いのは、延々と続く自粛要請に国民の側でも参ってしまうということだ。感染者数の推移についてはオリンピックのために検査数を誤魔化しただの、いやさすがにそれは陰謀論だのやかましいが、ここでは事実はさほど重要じゃない。なぜなら政府は公文書の改竄・廃棄を通して事実関係をこれまでないがしろにしてきたからだ。ならばこちらが事実関係をないがしろにした陰謀論で政府を指弾したところで、政府に文句を言われる筋合いも無かろう。
 要するにこれまでのファクト軽視のツケを、国全体で支払っているのが現在だ。感染者数は分からない。どうして分からないのかもはっきりしない。その中で危機感だけを抱き続けろと言うのは無理のある話で、やがて強行されたイベントに危機感を弱らせた市民が群がるのも必然的なシナリオだろう。
 政府の自粛要請は、近いうちにこうした瓦解を招くことになる。既になかば招いているかもしれないが。

 政府は速やかに自粛要請などというおためごかしをやめて、イベントを強制的に中止させたうえで、その損失を十二分に補填するべきだ。もちろん、その際に生じるあらゆる問題は政府の責任である。そのために我々は税金を納めているし、高い給料が政治家に支払われているはずだ。
 今政治家に、特に与党自民党に求められているのは市民に税金を還元するか、さもなくば政治家を辞めるかのどちらかだけだ。