小説家という職業
 
 今回紹介するのは珍しく新書である。集英社新書から出ている森博嗣『小説家という職業』だ。
 森博嗣と言えばメフィスト賞を受賞し、以前にドラマ化・アニメ化したこともある『すべてがFになる』が有名だ。あるいは私は読んだことがないのだが、人によったら『スカイ・クロラ』の方を知っているかもしれない。そんな作家が書く、小説家になるための方法とは?

1 本は読まない・小説を書け
 森は本を読まないと、いきなり公言する。理系の研究者である、という点を差し引いても氏は国語というジャンルが苦手だったらしく、1年に3冊、多い年でも1年に30冊くらいしか読まないという。
 そんな氏が冒頭でいきなりぶち上げる提言は「もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな」である。新しいことを生み出すことを重視する森にとっては、平均的な個性の人間が小説を読み、他者の個性に影響を受けることこそ(他者の影響を受けやすいからこそ平均的な個性になったのだと森は語る)避けなければならないことなのだ。
 ではどうするか。これも簡単で、森氏はただ「とにかく、書くこと、これに尽きる」と述べる。一か月に一冊ずつ書いていこうという緩やかな計画でシリーズもの五冊をいきなり書いてしまった(その四作目こそ氏の処女作『すべてがFになる』だ)氏だからこそ説得力のある言い分だ。

2 芸術ではなくビジネスと捉える
 本書を通じて森氏に通底する価値観は、小説を芸術ではなくビジネスとして捉える感覚である。そもそも氏が小説に筆を染めたのも、仕事の合間に、趣味に必要な資金を稼ぐためのバイト感覚だったと公言されている。それであれだけ売れるんだから氏の感覚はそれなりに独特だが、このビジネス感覚がストイックに小説をマイナージャンルと捉え、その中でどう自作をプロデュースするかという感覚を養わせているのは間違いない。
 ビジネスという感覚は、そのまま出版社の体質に対する批判にもつながる。2010年の著であるからこの批判は今でも有効かもしれない。締め切りに対するルーズさと、契約書のずさんさ、そしてビジネスとしての交渉が成立しない現場を森氏は疑問視している。
 本質的な手を打っていない以上、出版社に将来的展望がないと断言する森だが、一方で小説家を生産者と捉え、そこに希望を見いだす。出版社などの流通は合理化されリストラされるが、生産者は娯楽が産業になる限り滅びることはない。そこに小説家の強みがある。
 他にも、ストイックに小説家の強みを個人であることから捉えている。要するに大勢でやらないから利益の多くは自分の手元に入るし、最終的には個人だから小説にこだわる必要すらない。

3 進むうちに道は開ける
 結局のところ、森氏の小説講座はここに戻ってくる。まったくの素人から小説家になった氏にとって、小説家という職業は特別なものではない。免許も年齢制限もないから、むしろなるのは簡単な部類とすら捉えている。「小説家への道は、ただただ書くこと、それ以外にない」。